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2005.01.06

人に優しく、己に厳しく

小学校1,2年の頃の話。
国語の授業で、教科書の文章の暗記をやっていた。

前の日に2,3ページほどの範囲を指定して、その部分を読んで、暗記するのが宿題。次の日に先生が数人の人に分担させて、その部分を読ませる。
どこに当たるかわからないので、結局範囲全体を覚えないといけない。
助詞ひとつも間違ってはいけない。「へ」と「に」が違ってもだめ。

というようなものだったように、覚えている。
でも、いまになってよくよく考えてみると、これは小学2年生にはちょっときつい。
低学年なので字数は少ないといっても、教科書2,3ページを一晩で丸暗記である。

もしかしたら、先生が言っていたのは、
「暗記するつもりで読んできてね」という程度のものだったのかもしれない。
ただ、皆の前で、暗記してきた内容を教科書無しで読んでいたのは事実。

僕は暗記も得意だったし、たいていのときは覚えていた。他の教科の宿題もあったはずだから、そんなに時間を割いてはいないと思うけども、とにかくちゃんと覚えてきていた。


そんなある日、普段は2,3ページのはずが、12,3ページが暗記範囲になった日があった。これも今思えば、先生が言い間違ったとか、授業ペースが遅れていて、苦し紛れとか、まあそういう理由なのだと思う。とにかく普段の数倍の分量が宿題として出た。この日のことは、僕も覚えているし、それ以上に母親がよく覚えていた。

母親は、2年生の子供にこんなたくさん覚えさせるなんて、無茶だ!と思ったらしく、僕にも「さすがにこんなにたくさんは、覚えなくていいよ。」ということを言ったらしい(あまりおぼえていない)。しかし、当時の僕は言うことを聞かず、夜遅くまで泣きながら教科書を読み続けて、結局は覚えてしまった(泣きながら暗記したのはよく覚えている)。


こういう昔話を母親としていて、気持ちを改めた。
中学、高校、大学と進むにつれて、「妥協」ということを覚えてしまった気がする。
自分のなかで「やる」と決めたことに対して、また、他人から「やりなさい」と言われたことに対しても、自分で勝手に「このくらいでいいや」とか「ここまでやると言ったけれど、この程度で十分だろう」と言い訳をして、中途半端に、適当に片付けてしまっていることが多い。


昔の自分は違ったのだ。まだ、自分でこれをやる、と決めることはなかったかもしれないが、他人から言われたことは、律儀に、実直にやっていた。それが当然だった。

現在の職場のボスがよく言う言葉に、「やると決めた/決められたからには、きっちりそれをやる!」というのがある。同じことだと思う。
自分の中で決めた「やらねばならない」こと、他人から決められた「やらねばならない」ことを、勝手に「やったほうがいい」や「やらなくてもいい」に変えないこと。それが大事なことだ、と思う。

「人に優しく、自分に厳しく」今年の目標です。
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